思えばずっと「風景」がテーマだった、それを何にのせるかが問題だったと、南谷富貴は 語る。木々が林立する森林の風景が、常にイメージの根底にあったと。美術史という大き な流れの中に風景画というジャンルが位置付けられるとしても、一人一人の作家の創作活 動は、概念に沿って実践されるものではない。南谷にとってのそれは、小さな細胞からな る生物、その生物等の小さなものが集まってできている「風景」を造形化することだ。木 材という有機的な素材で作る複数の同形のブロックは、「風景」を、小さなものの集合体 として微視的に見つめるためのツールといえよう。いくつもの小さな命が生まれては終わ り、繰り返しながらゆっくりと堆積していく静かな「風景」。人もまたひとつの命であることを、今こそ思う。
多治見市モザイクタイルミュージアム学芸員 村山 閑
『記憶の残滓』 毎日愛犬と一緒に近所を散歩する。ある日、目新しい建物が現れる。 以前ここには何があったのだろう..毎日のように通り過ぎ見慣れた風景の筈なのに、 具体的には思い出せない。記憶や残像も曖昧だ。
私の住む街は50~60年前の高度成長期にたくさんの家が建てられた住宅地。 あるじを失い、朽ち果てた家屋が解体されるさまを度々目にする。 大きな音と砂埃を上げて崩されていく家屋。 人が育ち巣立った幾とせを経た家屋がものの数日で廃材の山と化し やがて程なく無機質な建物が建っていた。 以前の風景とは一変し、違和感を感じるも数日でその違和感は消えて無くなり、日常となる。 きっと在ったであろう人と生活の象徴が記憶から消えていく。
古えより日本家屋は、「仕口」の木組み、束柱の軸組で構築されてきた。
その束柱が廃材の山の中に埋もれていた。
失われようとしている人と建物が紡いできた有機的な時間軸の残滓を此処に。
南谷富貴
多治見市モザイクタイルミュージアム学芸員 村山 閑
『記憶の残滓』 毎日愛犬と一緒に近所を散歩する。ある日、目新しい建物が現れる。 以前ここには何があったのだろう..毎日のように通り過ぎ見慣れた風景の筈なのに、 具体的には思い出せない。記憶や残像も曖昧だ。
私の住む街は50~60年前の高度成長期にたくさんの家が建てられた住宅地。 あるじを失い、朽ち果てた家屋が解体されるさまを度々目にする。 大きな音と砂埃を上げて崩されていく家屋。 人が育ち巣立った幾とせを経た家屋がものの数日で廃材の山と化し やがて程なく無機質な建物が建っていた。 以前の風景とは一変し、違和感を感じるも数日でその違和感は消えて無くなり、日常となる。 きっと在ったであろう人と生活の象徴が記憶から消えていく。
古えより日本家屋は、「仕口」の木組み、束柱の軸組で構築されてきた。
その束柱が廃材の山の中に埋もれていた。
失われようとしている人と建物が紡いできた有機的な時間軸の残滓を此処に。
南谷富貴